-- まず、Baby smokerが、どんなバンドをやりたくてはじまったのかというところから、遡って訊いていきましょうか。
Wattan 「僕、バンドをはじめたのが高一の時やったんですけど、それは青春パンクみたいなことをやっていたんですよ。しかも1年で3回くらいしかライヴもせず、遊びで終わって。2004年、高二の春からBaby smokerをはじめたんです。それはNOBに影響を受けて……というか、NOBになりたかったんですよ(笑)。Hi-STANDARDからメロディックに入って、ハスキンとかハワイアンとかいろいろ聴いていたんですけど、一番、これ!って思ったのがNOBやったんです」
-- それは、どのタイミング?
Wattan 「『Colors』ですね。ライヴも見たことがなかったですし、どんな人なんかなあ?って思っていました。ANDREWさんの存在も知ってましたけど、今、こうして話していることも、その時からしたら意味がわからないですよね。ほんまにいるんかな?ぐらいな。芸能人って、そんな感じじゃないですか(笑)。そっから、NOBみたいなバンドやりたいと思って、コード進行とか、曲の作り方も影響を受けて。他にもいろんな要素は入っているんですけど。だからTIGHT RECORDSも、ずっと目指していたんですよ」(↗)
-- アプローチはしていたんですか?
Wattan 「いや、していなかったです(苦笑)。地元の寝屋川のVINTAGEってライヴハウスでちょこまかしていたら、HOTSQUALLが来た時に、たまたま一緒にやらせてもらって、そこから気に入ってもらって、ツアーで来る時には指名してもらっていたんですよ。それで何年かした頃、ANDREWさんに紹介したいって言われて。とは言え、TIGHTに入りたいっていう話もHOTSQUALLにしたことはなくて。よくわかんないかもしれないですけど……そんなぽろっと言っていいもんなんかなあって思っていたんですよ」
ANDREW 「当時は、俺がPAでHOTSQUALLのツアーにフルで廻っていて、機材車で、いいバンドがいるから聴いてみてくれって言われて、それがベビスモのデモだったんだよね。それで、いいなあって思って。しかもHOTSQUALLがみんな好きだって言っているから、人間もいいんじゃないかなって。取り敢えず音源は何回も聴いて、やっとライヴを見れる機会が来て、あれが何年前かなあ」
Wattan 「4年くらい前です。1stアルバムが3年5カ月前じゃないですか。ANDREWさんと会って、1年後くらいにアルバムを出したんで」
-- ということは、TIGHTからのリリースは即決だった?
ANDREW 「相当考えたけどね。ただ、寝屋川でライヴを見て、すげえ気に入って、すぐ仲良くなったよね」
Wattan 「そうですね。そのライヴが、あまり良くなかったんですよ。ANDREWさんに初めて会って、『デモ聴いたよ、楽しみにしてるから!』って言われて、おしっこチビりそうになったんですけど(苦笑)、HOTSQUALLにも『今日はふてこくやってみろよ、お前らはすぐに空回るから』って言われて、そんでライヴしたらほんまにやる気なさそうなライヴになっちゃったんです。そんで凹んでいたんですけど、ANDREWさんは『良かったよ!』って言ってくれたんですよね。それで、TIGHT目指してるんですって言ってみようと思ったんですよ」
-- ANDREWさんは、良くないライヴだとは思った?
ANDREW 「俺は、そのバンドのライヴを一回観れば、普段どんなライヴをやっているかはわかる。もう一回見たいなっていう気持ちになって。ちょうど東京に来る機会もあったんだよね」
Wattan 「SCOTLAND GIRLのミニアルバムのリリースツアーを、全部一緒に廻っていたんです。その新宿ACBの時に、千船さん(HOTSQUALL)と来てくれたんですよ。ライヴ終わったら楽屋に来てくれて、その後にアルバム出そうかって言ってくれたんです」
-- おー。
Wattan 「ちょっと歩こうかって言われて、怒られると思ったんですけど(苦笑)。その日、やったった感はあったのになって、シュンとしながらついていったら、ダメ出しからははじまったんですけど、『やろうか!』って。え、な、何をですか!?みたいに言ったら『アルバムだよ!』って。それで、うわー、お、お願いします!って」
ANDREW 「何十回と、3枚くらい出していたデモ音源も聴いたし。自分の中のイメージも沸いたし。イメージが沸くバンドって、最近ずっといなかったから、楽しいこと出来そうだなって」
-- たくさん紹介される機会や、見る機会もあると思うけど、他のバンドとは違った何かをベビスモには感じたんですね。
ANDREW 「そう。一言で言うと、ドキドキするかしないか、そこに尽きるから。見て下さいとか、聴いて下さいとか、数え切れないくらい言われるけど、あまり何とも思わない」(↗)
Wattan 「僕らラッキーですね」
ANDREW 「ラッキーだね!(笑)」
-- Wattanさんは、NOBに憧れて、TIGHTを目指してきて、夢が叶ったじゃないですか。
ANDREW 「俺には、HOTSQUALLに憧れてるって言っていたけれど」
Wattan 「NOBに憧れてTIGHTを知って、直接TIGHTのバンドと関わったのがHOTSQUALLだったんで、憧れはその二バンドと言っても過言じゃないというか」
ANDREW 「何年越しだろうね。TIGHTを意識し始めてから」
Wattan 「2010年だから、6年越しくらいですかね」
ANDREW 「HAWAIIAN6もさ、PIZZA OF DEATHから出したいと思って、7〜8年越しで『SOULS』を出せたんだよ。思ってからリリースまでの期間、いろいろ経て来て」
-- 諦めないで願い続けることって大切ですね。
ANDREW 「そうそう」
-- そんな流れだと、1stアルバム(『Cycle of the life』)に掛ける気合いは、ハンパじゃなかったでしょう?
Wattan 「気合い……入っていたんですけど、何したらいいかわからな過ぎて。デモのレコーディングとかは、自分らで勝手に雑にやっていたんで、テンパりましたよね」
ANDREW 「TIGHTとしては、自分がレコーディング、ミックス、マスタリングをやるっていうスタイルだけど、それ以外は、普段やってることやればいいよって、それしか言わなかった。1stって、どのバンドも集大成みたいなところがあって。当然デモに入っている曲も入れるし、普段思っている以上のことなんて、絶対に無理だからやらなくていいよと。そういう話しかしていないよね」(↗)
Wattan 「そうですね」
ANDREW 「そうしたら、いいの録れたよね」
Wattan 「ですねえ。BPM凄かったですね(笑)」
-- “西日本最速”というキャッチコピーは、パッと思い付いたんですか?
ANDREW 「そう、パッと思い付いた(笑)」
Wattan 「『西日本最速で行こうと思うんだよね』って言われて、あああ、はい!って(笑)」
ANDREW 「嘗て、とあるバンドがインディー最速って言っていたけれど、結局、最速ってBPMだけじゃなく体感だから。聴いた時に速ぇえ!って。それに、みんな覚えるじゃん。みんなに西日本最速って言われて、いやあそんなことないっすって言っても、その会話をした時点で勝ちだからね。例えば他のバンドに、俺らの方が速いっすよって言われても、比較された時点で勝ちっていう」
-- プロデューサーの手腕です(笑)。
ANDREW 「まずは印象に残さなきゃいけないからね。殆どがバンドの力なんだけど、残りのちょっとした部分は、俺みたいな人間の経験とか、レーベルの人間のちょっとした工夫かなって」
INTERVIEW BY 高橋美穂
Vol.02 へ続く